90年代のバブル崩壊をきっかけに、日本型経営の三種の神器(終身雇用・年功序列・組合制度)は問題視され、企業は成果主義へと舵を切る。会社の同僚は、仲間からライバルへ。職場のコミニュケーションが失われていく。さらにデジタルの発展が拍車をかけ、従業員同士のコミュニケーションは一層希薄化。組織の一体感が欠如していく。
そんな時代に経験した、自身の社会人としての実体験が運動会屋の原点となっている。
大学を卒業し、これといったスキルも無かった私が、最初に必要だと考えた経験は『営業』だった。営業職として、金融業界へ就職。電話に飛び込み訪問、早朝から深夜まで土日も返上して働いた。厳しい営業ノルマに上下関係。相談しようものなら、弱音と受け止められ「根性が無い」「気合が足りない」の集中砲火。やっと掴んだ商談も、先輩の手柄に。
同期の半分が半年で去り、入社1年後残った同僚は数人だけ。若手の離職が問題視されていたが、「原因は辞める人の側に問題がある」「若手の離職は社会の流れ」との考え方に変化は生まれそうにない。相談相手などおらず、辺りは真っ暗闇だった。何の為に仕事をしているのか、何の為に生きているのか、自らの存在価値が分からなくなった。
最初の契約を取り付けたのをきっかけに、転職する。
「これからはITの時代。ITこそが企業の稼ぐ力の源泉になる時代だ!」と考え、選んだのはIT系会社。しかし、周りの人は皆パソコンとにらめっこ。これまでの営業職とは大きく異なり、社内で会話の無い日々に戸惑った。パソコンスキルに乏しい私は、次第に煙たがられる存在に。それでも最低限の知識だけは身につけることができた。
この二社での就業経験を振返ると、上司への追従が絶対的であった組織、そして自分自身の世界に閉じこもる事が習慣化していた組織の両方に拒絶反応を示した自分がいた。『自分と他人・社会』の関係、そして『自分と自分自身』の関係をぼんやりと考えていた。
そんな時、子供たちの引きこもりや自殺のニュースが目に飛び込んできた。なんだか他人事には感じられず、心が痛かった。『自分自身』を隠さなければならない、こんな世の中で良いはずがない。自分が本当に何を望んでいて、やるべき事が何なのかが明確になってきた。
ここで思い出したのは、学生時代に没頭した野球部の経験。互いを尊敬し、信頼できる仲間との絆。言葉さえ必要ではないほど、強い結束力で結ばれていた。『自分自身』と『他人・社会』のつながりを、スポーツを通じて取り戻せないものか。そう、ひらめいた。
2007年にNPO法人を設立。会社員として日々の業務で感じていた『異常さ』をどうにかしたいという想いのみでの創業で、これで収益を上げようとは考えていなかった。誰かの役に立てる可能性があることに身を投じ、自分自身が「社会に必要とされる存在になりたい」と意気込んだ。
試行錯誤を経て、『運動会』に帰着した。運動会なら、誰もが自然に『自分自身』を表現でき、主役になれる。世代や職位を超えた関係性が生まれ、社内における社員同士の人間関係を育むきっかけとなるのではないか。
「社内運動会をやりませんか?」と提案したが全く相手にされなかった。景気低迷が続く中、運動会を開催する企業は激減。企業の方から「その時代は終わった。考え直した方がいい」と助言された。ニーズなどなかったが、気にしなかった。自らが感じた『異常さ』を信じ、アルバイトをやりながら、運動会を紹介し続けた。
はじめての運動会が決まったのは、その1年後。最初のお客様は、大阪の美容院のチェーン店だった。初めての運動会は、関西のノリと美容師という職柄の若い勢いで、大成功を収めた。 こんなに喜んでもらえるなんて。感動と同時に手応えを得た。「日本中の会社に運動会を紹介し、会社を元気にしよう」という信念が、自分の使命だと感じた。
その後、年々依頼は増え続け、現在は年間240件(2018年度)の運動会をプロデュースしている。
企業が社内運動会を開催する最たる目的は、『風通しの良い職場環境づくり』にある。しかし、運動会だけでは実現できない。運動会で得られる興奮や感情の盛り上がり、一体感を職場での日々の業務に戻ってからも持続させる事が出来ないか。
長い間試行錯誤し、組織理念、組織運営の仕組み、そして組織風土から成り立つ『企業文化』に辿り着いた。世界中のどんな組織にも、本質的に抱える問題がある。そして、何事も組織を構成している働く人の『心』次第だということも分かってきた。
運動会の仕事に携わる中、それが日本の学校教育に根付いた人格形成、人格向上に向けた教育行事であることを知った。目標に向かって粘り強く頑張る力、他の人とうまく関わる力、感情をコントロールする力、といった『非認知能力』の教育がその目的だ。現実の学校教育では、学力を容易に測れ、相対評価できる『認知能力』が重視されてはいるが、日本の学校教育における運動会の位置付けは変わっていない。残念ながら、ビジネスの世界では『認知能力』に人々の関心が集中しているが、災害等の時に見られる『思いやり・助け合い』の行動は、正に運動会の教育的意義が現実となって表れる瞬間ではないだろうか。
品質経営の父であるデミング博士の晩年の言葉にも、運動会の教育的意義につながるものがある。
「教育の一般体系を変えなければ、マネジメントの一般的体系は決して変えられない。両者は同じシステムなのだ。」
経営が直面する問題、組織文化の問題、そして学校教育の問題。これらが因果関係で繋がっていて、どれも世界の普遍的な問題ではないかと疑うようになった。
運動会が、国や地域によってどのように受け入れられ、どんな役に立てるか挑戦したい想いに駆られた。2015年から、海外展開をスタート。最初はタイとラオスの学校で、運動会を開催した。一筋縄ではいかなかったが、初めて開催したあの運動会の時と同じように、感動と手応えを得た。そして、今度は世界に対して使命感を抱いた。
運動会には、国籍や宗教、年齢、性別、貧富、障がい、政治などを超越し、『みんな違って当たり前、でもみんな同じ人間』であることを思い出させてくれる特性がある。多様性を受け入れ、共に手を取り合い、ゴールを目指す仕組みがある。これは、誰もが望む、社会そのものの『理想の姿』のように思える。
運動会を通じて、人の気持ちを変えられないだろうか。様々な問題は、人の『心』次第で解決できるし、より良い社会形成に向け、運動会で貢献できるのではないかと考えている。
未来への答えは、運動会にあるのではないか。
私たちは、これからも運動会の可能性にチャレンジしていきます。